2011年08月31日
カリスマ
カリスマとは・・・
一般的には、特定の人物に宿る特別な能力や資質をあらわす概念である。とりわけ、人々を引きつけたり信服させるある種の人格上の特質や魅力を指す。より一般論的説明としては、特定の個人、身分、社会組織、象徴、事物などに、他とは異なる超自然的、超人間的、非日常的な力や性質がそなわっていると認識される場合に、それらのもつ特質をカリスマという。(ウィキペディアより)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%9E
『カリスマ美容師』だとか『〇〇界のカリスマ』だとか
近年よくつかわれる言葉ではあるが、そう簡単な言葉ではないと思うし
人によって、また使い方によって、解釈や重みが違ってくる。
僕も今まで
「カリスマコンサルタントが語る・・・」
「カリスマ経営者の・・・」 などというセミナーに参加はした事があります。
しかし、今までの人生の中で、身近な存在で「カリスマ」的存在だと感じた方は
息子が中学時代に所属させて頂いていた野球チーム諏訪DBのY監督ひとりです。
なぜか、息子が高校野球を初めてくれてからそれをよく感じます。
Y監督の教え子である東京都市大塩尻の内藤君の甲子園出場や
長野県予選の決勝でY監督の教え子たちが甲子園をかけて戦う姿を見たり、
また、身近で高校野球の環境に触れたり
仲間からいろいろな情報を聞いたりすればするほど
Y監督の存在を思い出し・・・「カリスマ」という言葉が頭に浮かびます。
技術や能力だけを教えるのではなく野球を通じて精神を鍛える
それも、何年か先にこの選手が活躍するために、この子たちが成長するために、
何年か先を見据えて、あえて厳しい言葉をかける、厳しく接する。
Y監督が選手に言っていました・・・
「お前たちが高校野球でも通用するようになるには、半端な気持ちじゃダメなんだ」
「高校野球はそんなに甘いところじゃないんだ」
Y監督が飲むと言っていました
「あいつらが高校で頑張ってくれたらな~・・・」
そんな思いを込め中学生の選手に向かい、学校教育では考えられない
厳しい声、時には罵声に聞こえてしまう言葉も浴びせてくれていました。
それも保護者の目の前で・・・。
「でも、それがY監督の熱い思いであり愛情だったんだな~」
と、最近つくづく感じます。
先にふれたように
カリスマとは、特定の人物に宿る特別な能力・・・
と、説明がありましたが
Y監督からは、
「カリスマ性」いわゆる周りや環境を巻き込んでいく力を強く感じました。
熱い思いも、周囲の理解や取り巻く環境が許さなければ、思いだけで終わってしまう。
時には、理解されない事もある、非難される事も当然ある・・・
しかし、「あの人が言っているから・・・」「あの人だから・・・」
しかも思ってもいないところから「あいつのためなら・・・」
などと、環境がY監督の熱い思いへと動いていく・・・。
何の力が働いているんだろう?なんて思わされる事も多々ありました。
今になって、これが「カリスマ」なのかな・・・。
そんな環境で野球と接していられたんだな・・・。
などと思い感謝の気持ちが湧いてきます。
そんな「カリスマ」が作った環境を継承しようと悩む方々がいます。
頭が下がります。
しかし、完全に継承しようとするには少し無理があるのではないかと思います。
(私がこんな事を言うのは大変失礼だとは思います・・・すみません)
なぜなら当時は・・・そこに「カリスマ」が存在していたから・・・。
「カリスマ」への思いを大切にしながら、
無理なく新しい環境に少しづつ変えていく事も必要なんじゃないかなと思います。
自分もカリスマ的存在であろう親を失った後
どう生きるか・・・。
永年受け継がれてきた祖先からの流れをどう継承するか・・・。
考えなくてはならない歳になってきました。
今の自分、家族、生活ている環境、そしてこれからの世の中をちゃんと見ながら
ちょっと先の事まで考えてみよう・・・っと。
みんなが、明るく・・・
楽しく・・・
そして充実した日々
を送っている姿をイメージして…。
一般的には、特定の人物に宿る特別な能力や資質をあらわす概念である。とりわけ、人々を引きつけたり信服させるある種の人格上の特質や魅力を指す。より一般論的説明としては、特定の個人、身分、社会組織、象徴、事物などに、他とは異なる超自然的、超人間的、非日常的な力や性質がそなわっていると認識される場合に、それらのもつ特質をカリスマという。(ウィキペディアより)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%9E
『カリスマ美容師』だとか『〇〇界のカリスマ』だとか
近年よくつかわれる言葉ではあるが、そう簡単な言葉ではないと思うし
人によって、また使い方によって、解釈や重みが違ってくる。
僕も今まで
「カリスマコンサルタントが語る・・・」
「カリスマ経営者の・・・」 などというセミナーに参加はした事があります。
しかし、今までの人生の中で、身近な存在で「カリスマ」的存在だと感じた方は
息子が中学時代に所属させて頂いていた野球チーム諏訪DBのY監督ひとりです。
なぜか、息子が高校野球を初めてくれてからそれをよく感じます。
Y監督の教え子である東京都市大塩尻の内藤君の甲子園出場や
長野県予選の決勝でY監督の教え子たちが甲子園をかけて戦う姿を見たり、
また、身近で高校野球の環境に触れたり
仲間からいろいろな情報を聞いたりすればするほど
Y監督の存在を思い出し・・・「カリスマ」という言葉が頭に浮かびます。
技術や能力だけを教えるのではなく野球を通じて精神を鍛える
それも、何年か先にこの選手が活躍するために、この子たちが成長するために、
何年か先を見据えて、あえて厳しい言葉をかける、厳しく接する。
Y監督が選手に言っていました・・・
「お前たちが高校野球でも通用するようになるには、半端な気持ちじゃダメなんだ」
「高校野球はそんなに甘いところじゃないんだ」
Y監督が飲むと言っていました
「あいつらが高校で頑張ってくれたらな~・・・」
そんな思いを込め中学生の選手に向かい、学校教育では考えられない
厳しい声、時には罵声に聞こえてしまう言葉も浴びせてくれていました。
それも保護者の目の前で・・・。
「でも、それがY監督の熱い思いであり愛情だったんだな~」
と、最近つくづく感じます。
先にふれたように
カリスマとは、特定の人物に宿る特別な能力・・・
と、説明がありましたが
Y監督からは、
「カリスマ性」いわゆる周りや環境を巻き込んでいく力を強く感じました。
熱い思いも、周囲の理解や取り巻く環境が許さなければ、思いだけで終わってしまう。
時には、理解されない事もある、非難される事も当然ある・・・
しかし、「あの人が言っているから・・・」「あの人だから・・・」
しかも思ってもいないところから「あいつのためなら・・・」
などと、環境がY監督の熱い思いへと動いていく・・・。
何の力が働いているんだろう?なんて思わされる事も多々ありました。
今になって、これが「カリスマ」なのかな・・・。
そんな環境で野球と接していられたんだな・・・。
などと思い感謝の気持ちが湧いてきます。
そんな「カリスマ」が作った環境を継承しようと悩む方々がいます。
頭が下がります。
しかし、完全に継承しようとするには少し無理があるのではないかと思います。
(私がこんな事を言うのは大変失礼だとは思います・・・すみません)
なぜなら当時は・・・そこに「カリスマ」が存在していたから・・・。
「カリスマ」への思いを大切にしながら、
無理なく新しい環境に少しづつ変えていく事も必要なんじゃないかなと思います。
自分もカリスマ的存在であろう親を失った後
どう生きるか・・・。
永年受け継がれてきた祖先からの流れをどう継承するか・・・。
考えなくてはならない歳になってきました。
今の自分、家族、生活ている環境、そしてこれからの世の中をちゃんと見ながら
ちょっと先の事まで考えてみよう・・・っと。
みんなが、明るく・・・



を送っている姿をイメージして…。
Posted by モロ at 10:03│Comments(0)
│もろもろ日記